プロポリス研究の歩み > 創業から「エスタプロント」誕生まで

ミセル化抽出プロポリス「エスタプロント」は、いかにして誕生したのか。
日本プロポリス株式会社 菅澄子社長に伺う(聞き手:健康産業新聞元編集長 浜野英治)

プロポリスが健食市場に登場して40数年が経過する。この間、業界のパイオニアとして、画期的なプロポリス製品を市場に投入してきた日本プロポリス株式会社の菅社長に創業の経緯や原料の品質管理、ミセル化という独自の抽出法などについてうかがった。   創業のきっかけ / 創業時の周囲の反応 / ミセル化抽出に至るまでの紆余曲折 / 印象に残っているエピソード / 自然素材の難しさ

創業のきっかけについてお聞かせください。プロポリスとの出会いは?

もう少し、早ければ、スガさんに飲ませてあげられたのにね・・・
それが、プロポリスとの最初の出会いでした。病魔に侵された夫が亡くなって何年か経った頃のことでした。ブラジルで親しかった方が「プロポリス」を持ってきてくれたのです。(菅社長)

菅:夫の仕事の関係で一家でブラジル・サンパウロにいたことがありました。 当時は、日本からの進出企業花盛りで、サンパウロの一等地に日本企業がひしめいていました。1970年代前半の事です。最初はブラジルになじめなかったのに、段々とブラジルが好きになり、ブラジルを終の棲家にしても良いくらいの心構えでした。

ところがその夫に病魔が襲いかかりました。急遽、日本への帰国を余儀なくされました。その時、ブラジルの知人たちがブラジルの秘境で収穫された植物のエキスなどを持ってきてくれましたが、そうしたものは、残念ながら少量しか飲めませんでした。帰国後は日本の治療に専念しておりましたが、9ヶ月の闘病生活後、亡くなりました。

それから何年か経って、ブラジルで親しかった方が「プロポリス」を持ってきてくれました。「もう少し、早ければ、スガさんに飲ませてあげられたのにね」。それが、プロポリスとの最初の出会いでした。

それから家族みんなで試したり、親しい人たちに試していただき、従来の健康食品と全く違う事を知りました。プロポリスは自然のめぐみがいっぱい詰まった、ミツバチからの贈り物と言われました。そして程なく、その会社のリーダーから誘われて、1年後の1986年、私がその会社(日本プロポリス株式会社)の代表取締役に就任しました。

創業当初の周囲の反応はどのようなものでしたか? 当時はプロポリスはまだあまり知られてなかったと思いますが?

創業当初、周りの反応は冷ややかなものでした・・・
「胡散臭い」「まやかし」そういう風に思われがちな「健康食品」に手を染めようとしていたのですから。
なぜ健康食品なんだという事をよく言われました。当時、プロポリスを知る人はほとんどいませんでした。(菅社長)

菅:なぜ健康食品なんだという事をよく言われました。当時の健康食品といえば、「紅茶きのこ」や「クロレラ」「ローヤルゼリー」「人参」と言ったところで、「プロポリス」が抬頭するのは、弊社提供のプロポリスが学会で発表されてからですからもっと後のことです。(平成の初め頃)

紅茶きのこは別として、いかにも高そうな包装がしてあって、容器は黒で蓋は金色、箱もまた黒字に金の文字などで、不思議な雰囲気を醸し出しているのが「健康食品」の常でした。「神秘的」とか「奇跡」とか言った漠然とした修辞句が並び、不思議なパワーを連想させるような、はたから見れば、「胡散臭い」と思われるものが多かったのです。

勿論、確かな裏付けがあって歴史のある食品もあることには、ありましたが。「胡散臭い」「まやかし」そういう風に思われがちな「健康食品」に手を染めようとしているのですから、周りの反応は、冷ややかなものでした。

当時、プロポリスを知る人はほとんどいない状況でした。プロポリスの語源を知るとなるほど・・・と思えなくもありませんが、蜂の生態も知らないのですから、PRO(前で護る)POLIS(街)というのが、蜂社会を護る物質だというのが、ピンときませんでした。

その頃、日本にドイツ製のプロポリスが、唯一、輸入されていました。日本の黒と金のイメージから離れた外国制のプロポリスで、常用されている方は、密かにいらしたようです。それは、プロポリス抽出液をカプセルに入れたものだったと思います。

当時の日本の法律では、健康食品は、医薬品ではないのだから、(医薬品と)形状が似ていてはいけないという括りがありました。このプロポリスのタイプは、日本での製造は難しく、今でこそ、カプセル、錠剤、丸薬などの形のものが増えていますが、当時は食品として「噛んで食べる」が基礎でした。飲み込むのが困難な、星や三角など変な形の錠剤が多くあった時代でした。

当社は、プロポリスをアルコールで抽出し、エキスとして販売を開始しました。アルコール度数が高くて、そのまま飲めないので、「酒」ではない。という変わった解釈によるものでした。そのかわり、飲む時はアルコール度数を1%以下に抑えるわけですから、それなりの水が必要でした。プロポリスの持つ特有のピリピリ感は身体中に滲み渡るような感じがありました。プロポリス特有の香り、ピリピリ感はやはり自然界のものだと思いました。

なぜ、プロポリスを本格的に扱おうと思われたのですか? 原料の品質管理やミセル化抽出に至るまでの紆余曲折などお聞かせください。

自然界そのものが凝縮されていると感じたから・・・
プロポリスの研究を本格的に富山医科薬科大学(現・富山大学)に依頼し、和漢医薬の民族付属資料館を訪れた際、その感をさらに強くしました。 各地のプロポリスを取り寄せ、様々な検討を重ねた時期がありました。アメリカのオーガニック農場から取り寄せたプロポリスでしたが、重金属や農薬残留など日本では輸入できないレベルで、すべて廃棄処分にした事も。(菅社長)

菅:自然界そのものが凝縮されていると感じたからです。

プロポリスの研究を本格的に富山医科薬科大学(現・富山大学)に依頼し、訪問の折、和漢医薬が所有している民族付属資料館を訪れました。プロポリスが展示されていたのは、一つのブースではありませんでした。「植物由来、動物由来、蜂由来」と3つのブースに展示されていました。

プロポリスは、ほとんどの「自然界」に関わっている物質であると確信し、当初、感じたことが間違っていなかったと思いました。また富山大学で、次々に明らかにされるプロポリス成分、その特性が単一ではなく、バラエティに富んでいたことも大きな驚きでした。プロポリスは「小宇宙」のようなものだと仰った研究者もいらっしゃいました。

プロポリスは峰宝品ですから品質は同一ではなく、地域、気候、周りの植物群及び環境、蜂の種類によって変化します。

当社は、ブラジルミナスジェライス州産のプロポリスのみを原料にしています。各地のプロポリスを取り寄せ、様々な検討を重ねた時代がありました。アメリカのオーガニック農場から取り寄せたプロポリスは、重金属類、農薬、抗生物質の残留が確認され、日本では輸入できないレベルで、通関できずに、すべて廃棄処分となった事がありました。

一方、ブラジル産は、産地にあまり関わりなく、そういう物質に汚染されたものはなく、良質な原料でした。そこで、どの産地のものが、最も当社製品にあっているのかを調査するうち、ミナスジェライス州産の緑系のプロポリスが良いとわかってきました。フラボノイド値も高く、当社の抽出法にあっていたからです。

このプロポリスをアルコールで抽出したものは、最もクラシックな手法ですが、プロポリス成分をじわっと抽出させる点でかなりの優れものです。良質な原料を豊富に使い、成分を抽出させていますので、日本に数多くあるアルコール抽出タイプのプロポリスエキスとしては、どこにもひけをとらないでしょう。(商品名・プロント)

オリジナルの抽出方法でミセル化抽出は当初、アルコールの苦手な方、沢山の量を飲みたい方、小さいお子様に利用させたい方のために、開発されました。(商品名・エスタプロント)
アルコールを使わずにアルコール抽出と同レベルのプロポリス抽出液をつくりたいとの願いからできたものでした。

ところが、アルコールでは抽出されにくかった成分が大量に抽出されていたことがわかりました。それが思わぬ利点となりました。たとえば、アルコール抽出タイプの場合、プロポリスは、飲みたいけど、アルコールの摂取を控えたい、アルコールが含まれていなかったら継続することができるのに・・・という方には最適の当社のエスタプロント(ミセル化抽出)ですが、このエスタプロントには、カフェオイルキナ酸などの成分が含まれ、様々な研究が行われていますので、アルコールが気になる方にもお試しいただけます。

ミセル化抽出製品の開発で特に印象に残っているエピソードはありますか?

ミセル化抽出プロポリス生みの親である浜中博義先生との出会い・・・
多くの方々に協力、応援していただいた事に感謝しています。(菅社長)

菅:ミセル化抽出プロポリス、誕生には、多くの方の思いが詰まっています。

お一人、「プロポリス」の大ファンの方がいらっしゃいました。ある化学品、医薬品を扱う専門商社に在籍されていた方です。その方の熱心さが、ミセル化プロポリス誕生に結びついたのかもしれません。 実は、今も現役で活躍されているおそらく日本最高齢の歌手Sさんの弟さんです。そのSさんの弟さんが紹介してくださったのが、浜中博義先生でした。この方こそ、ミセル化抽出プロポリス生みの親です。

実験室レベルでは、成功した製法ですが、さて、これをいかに大量生産できるか・・・という次の課題をクリアしなくてなりませんでした。多くの食品製造機、製造ラインを手掛けた方をご紹介され、その方にすべてを委ねました。(実はその方に依頼するにあたり、亡き夫の部下が奔走してくれました)今、代替わりしていますが、その同じ仕様の装置は、今も健在です。 業界の事が良くわからないものの、協力、応援してくださる方が多くいらした事に感謝しています。

これからも良質な製品の提供を期待していますが、プロポリスという自然素材を扱う上で最も難しい点は何ですか?

プロポリスの収穫が思うようにいかない事も・・・
ブラジルという国は旱魃やら洪水といった自然災害で原料確保に影響が出やすい。収穫量が少ないと、価格があがってしまいます。(菅社長)

菅:プロポリスが順調に収穫できるかどうか、予約を入れた原料がはたして良質のものか、また決済時の為替価格はどうなるのか・・・

ブラジルという国は、日本の23倍の国土を有します。アマゾン川は旱魃で川底が見えているのに、南の地区では、大洪水という事が、同時に発生するところです。ミナスジェライス州も大雨や旱魃などの被害を受けて、プロポリスの収穫が思うようにいかなかった事があります。収穫量が少ないと、価格があがってしまいます。さらに、原料の質があまり良くないというような事態が起きてもおかしくありません。また、1ドル120円位で予算を立てていたのが、急激な円安で1ドル150円になってしまった時は大誤算となりました。

それでもなんとか、プロポリスが成田に到着し、通関検査を経て、無事に那須本社の保冷庫に保管されて、原料を確保できるまでこぎつけた時は喜びに変わります。そこから、品質管理室の出番です。入荷したてのプロポリス原料をランダムに選び、それを分析します。分析は多岐にわたります。プロポリス成分という単一成分で構成されているわけではありませんので、部分的な評価ではなく、全体の評価をみきわめます。

そして、保冷庫にある他のプロポリス原料とのブレンドを試みます。採れる時期によって成分のバラツキがあるため均一にしなければいけません。それを抽出計画に基づいて破砕し、保冷庫で寝かせます。

その後、いよいよ抽出工程に移りますが、原料、抽出機能液の割合が全く同じでも、抽出される濃度に差があるということです。例えば20%という自社規格を設定している以上、それに見合わなくてはなりません。最低20%あればいいんだから、それ以上になればいいでしょう、というものでもありません。

やはり20%を下回らないのは当然ですが、大幅に上回ってもいけません。当社は現在、20.5%をターゲットにし、その数値を目標にしています。その維持は難しいですが、自然素材であればいたしかたありません。しかしながら、長年に培われた当社のノウハウにより安定的な濃度の抽出液の供給が可能になっています。

プロポリスは、今や、多くの人々に知られ、健康に有益なものとして広く認識されています。この40数年で本格的なプロポリス市場が形成されていく中、画期的なミセル化抽出法を編み出され、多くの人々に喜ばれるプロポリス製品を世に送り出されました。その御社のご尽力に心より敬意を表します。原料調達から厳格な検査による安全性確認など、大変貴重なお話をありがとうございました。


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